のり研旅行報告

のり研旅行報告

のり研夏休み旅行 8/28〜8/30
寝台特急出雲の旅

 8月28日〜30日の三日間、私たちのり研のメンバーは、のり研最大のイベントである寝台列車での旅行にいってきました。今年は『寝台特急出雲』に乗車し、以下のようなルートで旅をしてきました。

8月28日

東京〜寝台特急出雲〜宍道

8月29日

宍道〜木次線〜備後落合
備後落合〜芸備線〜備中神代
備中神代〜伯備線〜新見
新見〜姫新線〜津山

8月30日

津山〜姫新線〜姫路
姫路〜東海道・山陽本線〜神奈川へ


備後落合
備後落合駅にて


メンバーからの感想

「のり研旅行2003夏」

学責

1、序章

今年の夏は異常といっても過言ではないほどに寒かった。来る日も来る日も曇天という文字ばかりが日記帳に続いた。8月最終週の週間天気予報は「くもり&雨」このパターンの予報を今夏は何度聞いただろうか。つくずく憂鬱になる予報である。

2、出発

8月28日、週間予報に見事に裏切られ(良い意味で)、空はかなしいほどに蒼かった。今回の旅行参加者は、相模原キャンパスから「責」「臣」「曽」「圭」、三陸キャンパスから「達」「河」の6名。インターネットは不特定多数の方が閲覧可能なので、本名は避けてイニシャル(?)表記させていただきます。イニシャルトーク・・・・某公団の某総裁を思い出します(笑)。

集合場所は、東京駅10番ホーム。遅刻者はゼロ!なかなか好調な滑り出しである。早めに全員が揃ってしまったので、東京駅で夕食を食べる余裕もあった。

出発10分程前、寝台特急出雲号は10番ホームに静かに現れた。ここで寝台に荷物を持って行く担当と、ロビーの座席を確保する担当とに分かれ、21時10分定刻に山陰地方へ向け出発!

3、東海道を西へ・・・・

東京駅出発の段階での乗車率は3割程度であろうか。正直言うと結構乗っているという印象であった。ほんの20年前までは指定券が入手困難であったなんてこの光景を見る限り絶対に想像はできない。出発と同時にお客さんはゾロゾロとロビーに登場。しかし、座席がなくて諦める人の姿も・・・・予め分担してソファー席を確保しておいた我々の勝利である(喜)。部員達の顔に優越感があふれる。テーブルには買い込んでおいた酒・ジュース・お菓子がところ狭しと並べられる。そして、元気に乾杯!これが京都まで続くと考えていた人間はこの時点で、何人いたのだろうか。

出雲号のロビーは、マニアックな方ならおわかりかと思いますが、かつての寝台特急の食堂車の車両で、閉鎖されているが厨房もある。厨房の入り口の扉の前で「この中に厨房があるんだよ!」なんて会話をしながらドアノブをひねると・・・・・

「開いた・・・・」な〜んと、鍵がかけられていなかったのである!冒険心旺盛な我々は、何のためらいもなく中へ入る。当然、水道や電気は使えないが、冷蔵庫、オーブンレンジなどは当時のままである。厨房では、最終的な加熱調理と盛り付けしかしないといっても、あの狭く、しかも揺れる空間での作業はさぞかし大変であっただろう。

リラックスしたいために男性部員は浴衣に着替える。しかし、この浴衣団体を見ると学生サークルにはどうしても見えない(笑)。どう見ても会社の慰安旅行のようである(爆)。

4、山陰地方へ・・・・

深夜3時過ぎ、山陰路への入り口京都に到着。ここで先頭の電気機関車が、ディーゼル機関車にバトンタッチ。この機関車付け替え作業を見るために全員が起きていたのである。浴衣&スリッパ姿でカメラ片手にゾロゾロとホームに降り立つ。夏休み期間中なので、機関車交換作業を見る人がいるかと思っていたのに、この日は我々だけであった。何となく寂しく感じた。山陰本線は山あいを縫うように走る単線路線なので、東海道を走っている時よりもかなり揺れる。しかし、翌日以降への体力を温存するために全員寝台へ戻る。「揺れて眠れなかった」ということを言う部員はいなかったので、今年の部員達の神経はかなり太いようである(笑)。

翌朝7時過ぎ、山陰本線の名所の1つである「餘部鉄橋」を通過する。さすがにこれを見ようと起きてきた部員は約半分。。。。眼下に広がる絶景を楽しみながら香住(かすみ)駅到着。ここから車内販売が乗車してきて朝食の販売が始まる。メニューは「ちらし寿司」「幕の内弁当」「サンドイッチ」「ホットコーヒー」であった。車内販売員が乗車してくるだけ有り難いが、かつての食堂車のように温かいご飯と味噌汁くらいは提供してもらいたい。途中、トンネル内で急停車があったりと適度なトラブルに遭遇しながらも鳥取、米子と停車して10時過ぎ、下車駅である宍道(しんじ)に到着。

5、神の国、いや神話の国へ・・・・

宍道駅。特急が停まる、木次(きすき)線の分岐駅であるが、周囲には何もない。ここで木次線に乗り換え。海沿いの町宍道から山の中へ向かって南下するローカル線である。車内で車掌に木次線限定のオレンジカードを勧められる。日本人は「限定販売」という文字に弱い。オレンジカードを数枚購入すると車掌も気を良くして沿線のガイドもしてくれた。ローカル線ならではである。山陰地方は神の国(これだと某元首相になってしまう・・・・)いや神話の国であるので、沿線には神社がよく目につく。我々も何か御利益が欲しい。。。。

ここで、今回の旅行で最大のトラブル、いや珍事?が発生。酔っ払いのおっさんが登場!周囲の客に絡む絡む・・・・当然、我々も絡まれた(笑)。いくらお酒を飲んだからといってもこうはなりたくないものである。我々はそんな姿を反面教師になるなぁ〜と考えながら、その立体的教科書を見ながらしばし嘲笑。

しかし、笑っていられるのもここまで!何と車内で放尿!列車はトイレの無い1両編成である。ワンマンカーの運転手は大慌て!もう車内騒然である。途中からワンマン扱いの列車となったので車掌はいない。おっさんに対するお説教&後始末は運転手1人の仕事である。大変だなぁ〜

大変なのは我々もである。途中、松本清張の小説で有名になった亀嵩(かめだけ)駅という駅がある。ここは駅舎で手打ちそばを打っており、予約をしておけば車内に出前をしてくれるのである。せっかくつなぎを使わない風味満点の十割そばを出前してもらったのに、車内はほのかに尿の香りが・・・・その香りが抜けるまで待ってから食べたが、何とも言えない状況であった(笑)。

次に木次線最大の景勝地である「3段式スイッチバック」のある出雲坂根駅に到着。ここまで山奥に来るとお客さんも少なくなり、我々6人、カメラマン風の男性、例のおっさんだけである。出雲坂根駅のホームには「延命水」という湧き水がある。ここで運転手も降りてみんなで水を飲む。時計を見るともう出発時間である。運転手に「もう時間じゃ〜ないですか?」と聞くと「じゃ〜そろそろ行くか」という返事の後、背伸びをして軽いストレッチ・・・・さすがローカル線!都心部では絶対にあり得ない光景である。ここからスイッチバックを利用して一気に山を登る。途中の景色の綺麗なところでは人が歩くくらいの速度まで徐行してくれた。おかげ様で沢山写真が撮れました。さすがローカル線!山を登りきると島根県から広島県へ。そして終点の備後落合(びんごおちあい)駅に到着。

6、中国山地を東へ

備後落合駅は、時刻表で見ると複数の路線が接続するいわゆるターミナル駅のはずであるが、雑草が無造作に生えて、周囲に人影もない無人駅であった。駅舎に入るとトカゲが・・・・ここで1時間40分の接続時間を潰さなければならない。6人もいるので雑談するネタに困らなかったのが幸いであった。

ここから岡山県の津山まで中国山地をひたすら東へ移動する。どこまで行っても同じような景色である。ちょっと意外だったのが、青春18きっぷを使って旅行しているような人の姿がなかったことである。

太陽が西の山にすっかり隠れてしまった19時過ぎ、この日の宿泊地である津山に到着。

7、津山での思い出

「せっかくここまで来たのだから外へ出よう!」ということになり、全員ホテルから出て近くの居酒屋へ出陣!案外みんな元気である。夏休みも最後なので後悔のないように盛り上がる。いつものようにひたすら飲む人、いつものようにひたすら騒ぐ人、いつもよりも少し多めに飲む人、いつものように半分潰れる人。実に様々である。その店が深夜12時で閉店なのが唯一心残りであった。店を出ると人影もなく、ひっそりとしている。営業しているのはスナックかコンビニだけである。2次会と称してスナックへ行かなかった・・・・みんな翌日の大移動を心配していたのであろうか。そのかわりホテルに戻ってから多少騒いだメンバーがいたそうである(笑)。

翌朝、フロント前のロビーに集合であったが、みんな「疲れた」と顔に書かれていた。とりあえず胃の中に食べ物を・・・・ということで、津山駅の立ち食い店でうどんを食する。薄い汁の色を見て「あぁ西日本に来ているんだなぁ〜」と実感する。ここで2時間ばかり市内観光ができるので2組に分かれた。片方のグループは「臣」と「河」で津山城の見学。もう片方のグループは「責」「曽」「圭」と「達」の4人で1つ隣の東津山へ。津山城は観光地なので問題はないが、東津山は人気ロックデュオのB'zの稲葉浩志の実家の店に行くという何ともミーハーなプランである。当然、本人はいないが母親と写真を撮った。ファンにはたまらないであろうが、そうでもない人はただ「へ〜そ〜なの」というだけである(笑)。

8、Back to the 神奈川

11時ころ津山を出るとあとは一気に神奈川へ戻るだけである。時間は10時間少々かかるが、青春18きっぷなので2300円で帰ることができる。何とも安価である。姫路から山陽本線の新快速に乗る。最高速度130km/hは速い!今回の旅行はず〜っと山の中をディーゼル列車でのんびりと走っていたので、電車の凄さを身をもって感じた。

新快速の終点である滋賀県の米原で、一度実家に帰る「達」と新幹線で急いで帰る「圭」とお別れ。乗り換え時間を利用して米原駅で話題になっている「湖北のおはなし」という駅弁を購入し、これを食した。美味しかったが、話題になるほどの・・・・と思った。しかし、味覚は人それぞれなのでそれ以上は深く書きません。

米原から愛知県の豊橋の間も新快速に乗車。実に快適である。JRも併走する私鉄があるとライバル心を燃やし、車両のグレードアップ&スピードアップをするが、それ以外のところは・・・・何とも不満である。

静岡から乗車する電車は、鈍行でありながら使用するのは特急型車両である。マニアな方ならおわかりかと思いますが、東京で折り返し「ムーンライトながら」に使われる車両です。夕食として駅弁を購入し、リクライニングするシートにゆったりと腰掛けて横浜まで優雅なひと時を過ごす。

しか〜し!人身事故発生!列車は大幅に遅れる。今回は帰るだけだから別に構わないが、旅行先に向かう途中の人や混雑している列車に閉じ込められている人にとってはまさに災難である。亡くなられた方に文句を言うわけにはいかないが、困ったものである。

相模大野には到着予定時間よりも約1時間半遅れで到着。みんなそれぞれ家路についた。

9、おわりに

旅行中の写真ですが、現像はとっくの昔に終わっています。。。しかし、忙しいことを言い訳に焼き増しに出していない・・・・みなさんごめんなさい。近日中には焼き増しします。


以上

「平成15年夏旅行に参加して」

so-net

今回の旅行では、自分を大きく成長させることが出来たと思う。

自分で言うのも何だが、自分はとても飽きっぽい。今回の旅行でも、帰りに東海道線を乗り継ぐと聞いたとき、「最期まで飽きずに行けるかな」と、不安であった。

しかし、あっという間に相模原に着いてしまった。正直、あっけなかった。

学責にも、「もうお前には各駅を乗り継ぐのが嫌だって言わせない」と言われてしまった。

自分の中でも、鉄道旅行に対する考え方が固まったように思う。

鉄道だけでなく、乗り物全般の「音」への関心が一番であるのは変わらないが、そのほかのジャンルに対しても、そんなに成績は悪くないな、という結論に達した旅行であった。

「寝台特急にゆられて・・・」

IT大臣

今回の旅行を振り返ると、『のり研最大のイベント』の名に相応しく、貴重な思い出になったと思っている。旅が好きであり、電車が好きである自分にとっては寝台列車に乗ることや宍道からのローカル線の風景や津山での観光と『旅行』と『電車』の両方が満喫できてとてもよかった。

さて、ここで今回の旅を私なりに最初から振り返ってみた。

まず、出発前日の8月27日。いよいよ明日だという気持ちで一杯であった。昔からそういうときは目が開いて寝られなかったりして大変だった。「明日からついに旅行か。待ち合わせが〜」などと考えながらようやく眠りについた。

そしていよいよ旅行当日である。向ヶ丘遊園の駅から小田急線急行で新宿に向かう。本当はわたしの家から東急田園都市線に乗って東京駅を目指せば早いのだが、今回は東京に行く前に新宿に寄る用事があった。旅行前に学責から今回の旅に自分の所属する水産学部の先輩がくるという連絡があったのである。そこで、水産学部一年の私と「圭」は先に先輩方を紹介してもらうために新宿で一度合流ということになったのである。

新宿についたのはなんと一時間近く前。はやくきてしまったのでトイレに行ったあと改札の外でのんびり待つ。時間になり学責と「圭」の姿がみえる。そこで学責から水産学部の先輩である「安」と「川」を紹介される。それから5人でSO-NETの待つ東京へと向かい。無事に合流した。軽くご飯を食べてから電車を待つ。

寝台特急出雲が10番ホームへとはいってくる。夏休み中なのでホームに人が一杯いるのかなと思ったが、そんなことはなく、お客は少なめであった。私が子供のころは寝台特急の絵本などをみて憧れたものであった。今でも家の本棚においてある。しかし、現代の子供達からは人気が消えてしまったのかなと思うと少し悲しい気分でもある。まぁ、人がいない方が宴会をしやすいのでその点は嬉しいが(笑)

乗り込んだあと。荷物などを席に、ロビーカーへと向かう。改めて今回のメンバーがそろい。各々自己紹介をする。今回旅行に参加したのは、相模原組(暴力団みたい)「学責」「私」「SO-NET」「圭」。そして三陸支部「安」「川」の合計六人である。一番驚いたのは女性が「圭」だけということである。ほかの人もくるかと思っていたが、もともと忙しかったり、急用がはいってしまったりといろいろ忙しいようである。女性一人で平気かと少し心配にもなったりしたが、本人は楽しんでいる様子であったので安心した。その後ロビーカーで宴会をしたが、浴衣になってみると学責談ではないが、まさに会社の慰安旅行の雰囲気であった(笑)京都で機関車の交換があるということなので、それを見るために宴会をしつつみんな起きていた。

京都に着き、みんな一斉に機関車を見に外へ。機関車の交換は割と早く終わって、車掌さんの「出発するぞ。いそげ〜」という声に急ぎ客車へ戻る。浴衣すがたで走る。慰安旅行の集団。なんとも面白い光景である。(笑)その後はみんな睡眠をとるべく、各々、いつ起こしてもらうか学責に報告し、眠りにつく。わたしは列車にゆられながら自分のベッドに横になると、明日からの旅がとても楽しみでたまらなかった。

翌朝私は昨日のうちに「餘部鉄橋」を見るために7時に起こしてくれと学責に頼んでおいたので、7時に起床する。眠いかなと思っていたのだが、気分は良好。歯を磨き。もどってくると隣の寝台からガサガサ音がする。となりは「圭」である。寝返りでもうっているのかなと思っているとカーテンの隙間から顔を出して「おはよう」と一言。彼女は早起きは得意らしい(笑)一通り準備を済ませてからロビーカーへ、学責などとともに鉄橋を見てから車内販売できたお弁当を食べる。それからしばらくして、米子に到着。私は学責とともにスタンプをゲットするために下車して駅事務室まで、無事スタンプもゲットできた。そしていよいよ、下車駅である宍道に到着する。

10時過ぎ、宍道に到着する。当然ながら駅スタンプをゲットして、木次線へと乗り換える。この木次線ではスイッチバックが見られるということで期待を膨らませる。『大臣をスイッチバックマニアにするから』というのは学責談である(笑)しかし、ここでハプニングが電車内にやたら酔っ払ったおじさんがいて、車掌にからんでいる。「あらら〜」とおもったら今度は前のほうへむかうおじさん、視線を移すとちょうどSO-NETと学責がいる。「このままじゃ、たぶんからまれるなぁ。」とおもったが既におじさんの射程圏内であったので知らせる事も出来ず予想通り絡まれた(苦笑)その後、思い出したくないような事態(深くは聞いてはいけません(笑))が起こり、運転士さんはとてもかわいそうであった。私たちもそばの味が少々変化したりと多大なる迷惑をこうむったりした。そうこうしているうちに、ついにスイッチバックの地点に到着。スイッチバックの凄さもさながら、窓から見える景色もいいものである。

それからしばらく走り備後落合駅に到着。ここは乗換駅のはずなのだけど、なんと無人駅であった。線路には雑草がおいしげっており、とても乗換駅には見えないのである。ここで次の電車まで一時間以上あるというので、木次線の運転士さんもまじえて記念撮影。とても親切な運転士さんで様々なことを話してくれた。もちろん、オレンジカード販売という本来の業務も忘れない(笑)その後はホームでのんびりと学校の話などをして過ごした。来年行く三陸キャンパスについてもいろいろと話を聞くことが出来た。そのあとは順調に電車を乗り継いで、津山へ。今ごろ疲れが出たのか電車の中で居眠りばっかりしていた私である。夜になって津山に到着し、とりあえずホテルに荷物を預けてから居酒屋へ出陣する。一通り飲んだあと、それぞれホテルへと戻る。部屋へ戻ろうとすると学責と「安」が一緒に私の部屋に突入。いろいろと騒いだあとようやく二人を追い出し眠りにつく。

翌日の午前中は津山市内観光ということで早めに起き準備をする。ロビーに行くと「圭」がいた。彼女は早く起きて朝食もとったそうである。本人談「体内時計がしっかりしているからね」とのことである。すごいなぁと感心するばかりである。それから他のメンバーもつぎつぎとあつまってきた。ここでふと見ると男性全員が有料放送のカードを持っているのであった。男の性かな(笑)

さて、津山市内観光であるが、私は「川」と一緒に津山城跡の観光へ向かった。昔からお城とかに行くのが大好きなのであるのでとても楽しみである。行ってみると、津山城は現在天守閣の復元工事中であった。とりあえず、城跡の上から景色を見てみると津山の町が一望できた。東京なんかと比べると全然違った田舎の景色である。お城の建っていた場所というのはなんとも景色が良くて嬉しい限りである。

そのあと津山から電車に乗り、次の東津山でのこりのメンバーと合流し、帰宅を開始する。姫路まででて、姫路から新快速に乗って米原を目指す。時速130kmはとても早いが列車が揺れまくってトイレに行くのも一苦労である。米原につくと、ここからは「安」は実家に帰り。「圭」は新幹線で帰るため、お別れとなる。「圭」はいつでも会えるが、「安」は次に会うのはだいぶ先になってしまうだろうと思うので、しっかりとお礼を述べる。のり研三陸支部長として来年三陸で会うのが楽しみである。米原で「湖北のおはなし」という駅弁を買う。電車の中で食べてみたが、なかなかおいしかったので満足である。米原から新快速で豊橋まで向かう。そこから先も電車を乗り継ぎすすむ、このころになると疲労もたまっているのかメトロノームのように左右に振れながら居眠りしていた(笑)そして、ついに静岡まで到着。いよいよあと少しである。しかし、ここで問題が発生した。人身事故により、電車が送れているのである。まぁ、騒いでもしょうがないのでここはじっと待つ。その間に静岡駅のスタンプをゲットしてくる(笑)一時間程度遅れて横浜へ。そこから横浜線に乗り、私は長津田から田園都市線に乗り換えて自宅へ、他の皆はそのまま相模大野へ向かい解散である。長津田の駅で他の三人とお別れをする。駅の発車案内を見ると田園都市線は次が最終電車であった。何とか最終電車に乗り、帰宅した。



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